賓日館

三重県伊勢市二見町茶屋566-2

TEL:0596-43-2003
Futami

二見について

二見・禊

常世の国から打ち寄せる波が最初に届く聖なる浜

二見という地名は、伊勢神宮(内宮)から流れてくる五十鈴川が、二見を挟むように東西二手に分かれて伊勢湾に注いでいることから、「二水」に由来すると言われている。それが景勝地ゆえに二度も振り返る「二見」に変わり「倭姫命がその美しさに二度振り返りご覧になったため」と言われるようになった。こうした自然・景観の美しさと、伊勢神宮のお膝元という地理的条件、夫婦岩のある立石崎が古来禊場であり、神宮参拝の前にここで身心を清める習わしがあったこと、これらが相まり二見の街は観光地として栄えてきた。
夫婦岩のある岬を立石崎と呼び、夫婦岩周辺の浜を立石浜と言う。ここを常世の国から打ち寄せる波が最初に届く聖なる浜と信じられてきた。神仏に参拝するとき、水を浴びて身心を清めることを垢離(こり)と言い、立石浜は神宮の垢離場であった為、今でも神領民は両宮を正式参宮する時は浜参宮と称し、この浜で身を清めるのが習わしとなっている。

二見浦海水浴場の歴史

日本第一号の国指定海水浴場

明治15年(1882)、時の内務省衛生局長・長与専斎により禊場である立石崎が海水浴場として開設された、日本第一号の国指定海水浴場である。当時の海水浴場は医療が目的の浴治と言い、男女別に4つの浴槽を設け、「海水に直接浸かる冷浴」と「海水を温めて入浴する温浴」が始められた。明治17年(1884)、海水浴場は立石浜から二見館前に移される。そして、二見館が海水温浴場を開設した最初の旅館となった。
その後、明治24年(1891)夏、後の大正天皇・明宮嘉仁親王が3週間余りによる賓日館滞在により二見の地名と海水浴が知られることとなった。また、日清・日露戦争の疾病兵療養地として二見浦は多数の兵士を受け入れることになり、各旅館が潮湯治として海水温浴場を造ったことが、現在の旅館街の基礎と発展に繋がっている。

二見浦海水浴 賓日館002
二見浦海水浴 賓日館004
二見浦海水浴 賓日館003
二見浦海水浴 賓日館001
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知る

夫婦岩

海中に沈む御神体興玉神石と、日の大神を拝する鳥居

夫婦岩の大きい岩(男岩)は立石と呼ばれ、高さ9m、周囲約40m。小さい岩(女岩)は根尻岩と呼ばれ、高さ3.6m、周囲9mある。根尻岩は大正7年の台風で倒れ、その後修復固定されている。両岩の間に張られている5本の大注連縄は長さ35m、重さ40kg。立石に16m、根尻岩に10mが巻かれ、その間の長さは9m。5月5日、9月5日、12月の年3回、張り替えが行われている。両岩の中央から太陽が昇る夏至の日には夏至祭が行われ、身心の禊を願う人々が白衣を着て海水に身を浸し日輪を拝む姿が見られる。

御塩殿神社

伊勢神宮の塩

倭姫命が現在の伊勢神宮の地に向かう途中、二見浦に立ち寄った際、佐見津日女命が出迎え堅塩を献上したと言われている。佐見津日女命をお祀りしているのが表参道南にある堅田神社。以来、二見は伊勢神宮の塩を焼いていくこととなる。塩を焼く御塩殿では、御塩浜で作られた「鹹水(かんすい)」を三角錐の容器に入れて焼き固めている。

御潮殿002
御潮殿003
御潮殿004
御潮殿001

太陽信仰と興玉神石

夫婦岩のある岬は立石崎と呼ばれ、古来、神の世と繋がる神聖な場所と信じられてきた。本来のご神体は安政元年(1854)の大地震で海中に没した、夫婦岩北東沖合約650mにある興玉神石である。興玉神石は、東の彼方にある神々の国、常世の国からやってくる神が最初に寄り付く聖なる岩とされ、興玉は沖の魂(神)の意味である。夫婦岩は、興玉神石の門石(鳥居)で、夫婦岩の間に張られている大注連縄は、神の世と俗世とを隔離する結界の縄と言われている。神々は興玉神石により下界に蘇るとされており、東の空が明るく輝き太陽が昇る瞬間に、まさに神が太陽として蘇る姿を人々は感じたのであろう。立石崎は古来、夜から朝へ、冬から春へ太陽の恵みの再生を祈る太陽信仰の場所で、これが天照大神の信仰に繋がっていく。

音無山(三郎山)

表参道の南、立石崎から西南に連なる標高119.8mの山を音無山と言う。倭姫命をお出迎えした音無山の麓に住む佐見津日女命は、「この山の名前は何と申す?」という倭姫命の問いかけにお答えすることができなかった。つまり“音沙汰無かった”ことからこの山を「音無山」と呼ぶようになったとされる。源義経の最初の家来で平家と戦った豪傑・伊勢三郎義盛の居城があったと言われていることから、別名・三郎山とも呼ばれる(古名は佐見山)。今はなくなったが、その木に登って義盛が周囲を見渡した「物見の松」があったと言われている。
昭和7年、山頂までロープウェイが建設されるなど公園として整備され、音無山はちょっとしたレジャーランドだった。(昭和17年、太平洋戦争のためロープウェイは撤去)。
現在は遊歩道が整備され、日の出遥拝所や稲荷社があって初詣には多くの参拝客が訪れる。また、桜の名所としても有名で、山一面に桜が咲き乱れる様は春の二見を代表する風景となっている。

西行と芭蕉

平安時代末期の歌人・西行は伊勢の地に何度も足を運んでいた。晩年の治承4年(1180年)から6年間、二見の安養山に草庵をかまえ、「二見浦百首」を勧進した。『千載和歌集』に「伊勢の国の二見浦の山寺に侍りけるに…」とある。
その後、西行を慕うように『方丈記』の作者・鴨長明など文人たちの往来が盛んになり、芭蕉もこの地を訪れ、句を詠んだ。

浪越すと 二見の松の 見えつるは 梢にかかる霞なりけり     西行

うたがうな 潮の花も 浦の春   芭蕉

今ぞ知る二見浦の蛤を 貝合わせとておほふなりけり  西行

蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ  芭蕉

日の出と月の出

夫婦岩の間からの日の出は全国的に有名であるが、実際にあの光景がみられるのは夏至を挟んで2ヶ月ほどである。
さらに、空気の澄んだ晴れの日には、夫婦岩の間に富士山が見えることもある。夏至の頃は天候が不順なため、めったに見ることはできないものの、夫婦岩の間から霊峰富士山をシルエットに朝日が昇る光景は、厳かで見る人を厳粛な気持ちにさせる。
また、冬の11月から2月には、各月2、3日程度であるが、夫婦岩の間から満月が昇る。日の出の荘厳さとは違い、ライトアップされた夫婦岩の間から満月が昇る光景は、幻想的でロマンチックである。

二見かえる

二見興玉神社の御祭神・猿田彦大神は『古事記』『日本書紀』の「天孫降臨」の段に登場し、古くから交通安全、善導の神として広く信仰されている。二見興玉神社ではかえるはその大神のおつかいとされており、その語呂から「無事かえる」、「貸したものがかえる」など縁起物としても愛される二見のキャラクターとなっている。

夫婦岩 興玉神社
興玉神社001
興玉神社002
興玉神社 賓日館
Futami Literary Calendar

二見歳時記

行事 説明

1月14日

栄野神社 湯立神事

神前に据えられた大釜の煮立った湯に熊笹を入れ、集まった人々に湯玉をふりかけ、無病息災、家内安全を願う。栄野神社は二見興玉神社の摂社。

旧暦1月18日

太江寺 初観音火渡り

護摩が焚かれ、無病息災を願う老若男女が、くすぶる火の上を裸足で駆け渡る。

2月3日

二見興玉神社節分祭

境内に特設撒豆台が設置され、赤鬼・青鬼を追い出した後、宮司や年男・年女らにより福豆や紅白餅などが撒かれる。

2月4日〜3月上旬

おひなさまめぐり in 二見

夫婦岩表参道を中心に、約6,000体ものひな人形が展示される。賓日館では、古いお雛さまを中心に展示し、各種体験やイベントなどを開催。また、飲食店によっては、開催期間中限定のランチメニューなども楽しめる。

旧暦3月3日に近い日曜

松下の弓祭

寿永3年(1184年)、一の谷の合戦に敗れた平家一族が都落ちして松下に来て、再興のため弓術に励んだのが祭りの始まりと伝えられている。源平時代をそのままに伝える伝統行事で、会所近くに弓場を作り、地区の安全を祈願する。

4月29日

太江寺 風呂敷護摩

風呂敷の上で護摩を焚き、護摩の灰をを包んで参拝者の身を加護する。

5月5日/9月5日/12月

夫婦岩 大注連縄張神事

年に3回、夫婦岩の注連縄が張り替えられる。木遣り唄の響く二見興玉神社で、お祓いを受けた注連縄が地元の氏子によって夫婦岩に張り渡され、参拝者も参道から手送りという形で参加できる。

旧暦5月15日

竜宮社 郷中施

寛政4年(1792年)5月15日に江村を襲った大風水害。その後、災害から逃れるため龍神を江川河口に祀った。現在は二見興玉神社の参道山裾に竜宮社があり、供養のためと災害を忘れぬようにと、郷中みんなで施し合う郷中施が執り行われ、海へお供え物を流す。

5月21日

二見興玉神社 藻刈神事

夫婦岩の沖合650メートル先の猿田彦大神縁の興玉神石へ神職が向かい、無垢塩草を刈り取る。その後天日干しし、祓の具、不浄守となる。

旧暦6月1日に近い休日

潜島の注連縄張り替え

江戸末期から伝わる「神前普請注連縄神事」。松下の人々によって注連縄が張り替えられ、住民の安全と海上安全を祈願する。

夏至の日

二見興玉神社 夏至祭

日の出時刻(4時40分頃)に合わせ、夫婦岩の前で禊が行われる。夏至の日を中心に前後2ヶ月は夫婦岩の間より日の出が拝める。

7月14日

二見大祭 しめなわ曳

夫婦岩の大注連縄を奉曳車に積んで二見浦駅から旅館街を練り歩き、これを二見興玉神社へ奉納する行事。二見太鼓に木遣り唄で道中は賑やか。毎年、二見興玉神社例祭(7月15日)の宵宮に開催される。

7月下旬

御塩浜塩田鹹水作り

神宮で使う御塩の元になる濃度の高い塩水(鹹水:かんすい)を、昔ながらの入浜式塩田法を用いて作る。

8月第一日曜日

高松稲荷大祭

江戸中期、茶屋組中が商売繁盛を願って勧進した高松稲荷神社の大祭で、夫婦岩表参道を練り歩く子ども神輿は伝統行事となっている。

8月18日

太江寺 観音万灯会

千手観音の縁日に家内安全、諸霊供養のためロウソクを灯す万灯会が行われている。石段や境内を照らす灯りは幻想的だ。

9月11日

二見神社(姫宮稲荷)例祭

二見神社は明治41年、二見町内の15社を合祀して、旧姫宮稲荷の社域に建てられた。姫宮稲荷神社は元文年間(1736~41)、京都伏見稲荷の分神を勧進して祀られ、例祭には多くの出店で賑わう。

10月5日

御塩殿祭

より良い堅塩がより多く得られるように祈るとともに、製塩に携わる作業者の安全を祈る。

12月16日

松下社 桃符頒布始祭

松下社にて氏子総代らが集まり、桃符の「頒布始祭」の儀式が行われる。注連縄は悪疫退散、厄除開運、家内安全の守護札とし、また縁起物として一年を通じ飾られている。

12月31日

松下社の榊巻神事

正殿の床下ほか、境内14箇所に榊の枝を束ねる榊巻という珍しい風習がある。毎年榊を巻き重ね、正殿を建て替える20年目に榊巻きも新しくなる。